ぶらりYABE

動画「冬のお話会~手づくり遊びで楽しもう!~」を掲載!
ぶらりYABE · 2023/02/02
お話会は、谷矢部(やとやべ)の昔を知る方が「かたりべ」となり自然や文化、歴史をこども達に伝え、またその様子を動画にしてホームページに掲載する企画です。 夏に続く第2回では町内の「こどものあそびば(通称:三角公園)」の由来を、公園を造った当時のことを知る新井春海さん(14班)から伺い、自分で作った「びゅんびゅんごま」を回して遊びました。 おとなもこどもも合わせて25名の方に参加いただき、寒い冬の午後をみんなで楽しく過ごしました。 当日の動画が完成しましたので、是非ご覧ください。

YABEに暮らした人たち その4 空き地にお砂場を造った人
ぶらりYABE · 2022/12/12
5班Aにある「こどもの広場(通称:三角公園)」は、1965(昭和40)年頃に第9代町内会長 熊谷直好さん(故人・11班A)を中心に町内有志の尽力で造られました。この広場は横浜市や戸塚区といった行政が管理しているのではなく、私たち谷矢部東町内会が維持・管理に携わり、今もこども会役員の皆様と有志の方が清掃活動を続けてくださっています。 今回は、この「三角公園」に砂場を造った有志のお一人、新井春海さん(14班)にお話を伺いました。

お隣はこんなひと、こんなとこ その5 お散歩の合間、谷矢部池公園「ぷらっと」でひと休みはいかが? 
ぶらりYABE · 2022/11/28
「谷矢部池(やとやべいけ)公園」は、小学校のこどもたちが自然観察や農業体験等で利用しています。初冬の色づく木立を眺めながらお散歩するのに、まさにぴったりの場所です。 公園の一角には小さな「ぷらっと谷矢部」という建物があり、開所日には立ち寄ることができます。この地域拠点「ぷらっと谷矢部」を管理・運営している団体が「特定非営利活動法人 ぷらっと」です。まだあまり当町内では知られていない「ぷらっと」の活動について、今回、寄稿いただきました。

土地の記憶 その4  谷矢部とワンマン道路の深いつながり
ぶらりYABE · 2022/10/24
谷矢部東から谷矢部西や鳥が丘に抜ける大小3つのトンネルは、「山」を掘って造ったものではないこと、ご存じでしょうか。 トンネルの上を走る「戸塚道路」(一般国道1号)は、旧・国道1号のバイパスであり、トンネルはその地下道になります。 GHQ占領下にあった第二次大戦後の日本をサンフランシスコ講和会議で再び独立に導き、癖のある独裁的な態度から「ワンマン宰相」とも呼ばれた、時の内閣総理大臣吉田茂が自宅の大磯から国会議事堂のある永田町へと車で向かうために着工した経緯もあって、「戸塚道路」は当時「ワンマン道路」と言われました。 バイパス造成にあたっては大規模な盛土(もりど)・切り土(きりど)があり、この工事のために谷矢部東周辺では住宅等の曳家(ひきや)が行われました。 今回は戸塚道路に関する「土地の記憶」をさかのぼります。1956年の非常に貴重な写真も掲載していますので、是非ご覧ください。

2022年は祭礼を再開&お話会の動画が完成!
ぶらりYABE · 2022/09/11
2022年8月21日(火)に街山青少年会館において、「やとやべひがし 夏のお話会」が開かれました。 谷矢部(やとやべ)の昔を知る方が「かたりべ」となり自然や文化、歴史を子ども達に伝え、またその様子を動画にしてホームページに掲載する企画です。 今回は町内の「御神輿(おみこし)」や「谷矢部東御囃子(おはやし)連中」の由来等を、「御囃子連中」顧問の小泉豊さん(13班)と「御囃子連中」の皆様に、実演を交えながらお話いただきました。 当日の様子を動画に編集しましたので、是非ご覧ください。

YABEに暮らした人たち その3 御囃子(おはやし)を始めた人 小泉豊(1946~ )
ぶらりYABE · 2022/07/28
夏の祭礼といえば、御囃子(おはやし)! 谷矢部東御囃子は横浜市より「無形民俗文化財保護団体」に認定されるほどの実績を誇っています。今回はこの御囃子を始めた人、谷矢部東御囃子連中の顧問である小泉豊さん(13班)に由来をおたずねしました。

お隣はこんなひと、こんなとこ。その4 暑い日は屋内で、元気なこども達と遊ぼう!
ぶらりYABE · 2022/06/29
暑い日が続くと、せっかく新型コロナウイルス感染症も収束して来たのにクーラーの効いた家の中にばかりで、こどもも大人も気が晴れません。 そこで今回は、谷矢部東近くでこども達が元気に遊べる場所を、8歳・5歳・3歳の元気な3人の男の子のお母さま田中加苗さん(1班)に教えていただきました。

土地の記憶 その3 戸塚に火の雨が降った日々
ぶらりYABE · 2022/05/31
5月29日は、1945(昭和20)年に横浜大空襲があった日です。午前中にアメリカ軍による空襲が横浜の市街地にあり、直後の公式発表では死者3,650人、重軽傷者10,198人、行方不明309人、罹災者は311,218人とされています。戦後に戸塚へ移り住んだ人の多い谷矢部東では戸塚も空襲を受けたことをご存じないかもしれませんが、調べると何度か被害を受けていることがわかりました。 今回は横浜大空襲のあった5月に、戸塚に残る戦争の記憶をたどります。

YABEに暮らした人たち その2 街山八幡社を創建した人  竹ノ下小次郎(?~1437年)
ぶらりYABE · 2022/04/30
谷矢部東町内会が利用している青少年会館のある街山(つじやま)八幡社は、室町時代に地頭(じとう)の「竹下(たけのした)小次郎」が、後醍醐天皇の忠臣として鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞の三男「新田義宗」が護持していた八幡大菩薩の神像を奉祀し創建したのが始まりとされています。 今回は谷矢部東にゆかりの深い、この「竹下小次郎」にフォーカスします。

土地の記憶 その2 東亞特殊製鋼「戸塚工場」と富山の松岡松平
ぶらりYABE · 2022/03/31
谷矢部東地区は法務局の土地登記簿謄本には「字(あざ)越之下(こしのした)」として明治初年からの記録があります。最も古い所有者は中留村和泉の清水源右衛門。その後、1939(昭和14)年には「重宗雄三」という人物に売却され、戦争を経て1952(昭和27)年に神奈川県が買収しています。調べると、「東亞特殊製鋼株式会社」という会社の工場であったことがわかりました。この会社は1938(昭和13)年に設立され、炭素バナジウム鋼、ピアノ線鋼材、製鋼原鉄、特殊鋼を製造していました。

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