谷矢部東から谷矢部西や鳥が丘に抜ける大小3つのトンネルは、「山」を掘って造ったものではないこと、ご存じでしょうか。
トンネルの上を走る「戸塚道路」(一般国道1号)は、旧・国道1号のバイパスであり、トンネルはその地下道になります。
GHQ占領下にあった第二次大戦後の日本をサンフランシスコ講和会議で再び独立に導き、癖のある独裁的な態度から「ワンマン宰相」とも呼ばれた、時の内閣総理大臣吉田茂が自宅の大磯から国会議事堂のある永田町へと車で向かうために着工した経緯もあって、「戸塚道路」は当時「ワンマン道路」と言われました。
バイパス造成にあたっては大規模な盛土(もりど)・切り土(きりど)があり、この工事のために谷矢部東周辺では住宅等の曳家(ひきや)が行われました。
今回は戸塚道路に関する「土地の記憶」をさかのぼります。1956年の非常に貴重な写真も掲載していますので、是非ご覧ください。