カテゴリ:土地の記憶



土地の記憶 その4  谷矢部とワンマン道路の深いつながり
ぶらりYABE · 2022/10/24
谷矢部東から谷矢部西や鳥が丘に抜ける大小3つのトンネルは、「山」を掘って造ったものではないこと、ご存じでしょうか。 トンネルの上を走る「戸塚道路」(一般国道1号)は、旧・国道1号のバイパスであり、トンネルはその地下道になります。 GHQ占領下にあった第二次大戦後の日本をサンフランシスコ講和会議で再び独立に導き、癖のある独裁的な態度から「ワンマン宰相」とも呼ばれた、時の内閣総理大臣吉田茂が自宅の大磯から国会議事堂のある永田町へと車で向かうために着工した経緯もあって、「戸塚道路」は当時「ワンマン道路」と言われました。 バイパス造成にあたっては大規模な盛土(もりど)・切り土(きりど)があり、この工事のために谷矢部東周辺では住宅等の曳家(ひきや)が行われました。 今回は戸塚道路に関する「土地の記憶」をさかのぼります。1956年の非常に貴重な写真も掲載していますので、是非ご覧ください。

土地の記憶 その3 戸塚に火の雨が降った日々
ぶらりYABE · 2022/05/31
5月29日は、1945(昭和20)年に横浜大空襲があった日です。午前中にアメリカ軍による空襲が横浜の市街地にあり、直後の公式発表では死者3,650人、重軽傷者10,198人、行方不明309人、罹災者は311,218人とされています。戦後に戸塚へ移り住んだ人の多い谷矢部東では戸塚も空襲を受けたことをご存じないかもしれませんが、調べると何度か被害を受けていることがわかりました。 今回は横浜大空襲のあった5月に、戸塚に残る戦争の記憶をたどります。

土地の記憶 その2 東亞特殊製鋼「戸塚工場」と富山の松岡松平
ぶらりYABE · 2022/03/31
谷矢部東地区は法務局の土地登記簿謄本には「字(あざ)越之下(こしのした)」として明治初年からの記録があります。最も古い所有者は中留村和泉の清水源右衛門。その後、1939(昭和14)年には「重宗雄三」という人物に売却され、戦争を経て1952(昭和27)年に神奈川県が買収しています。調べると、「東亞特殊製鋼株式会社」という会社の工場であったことがわかりました。この会社は1938(昭和13)年に設立され、炭素バナジウム鋼、ピアノ線鋼材、製鋼原鉄、特殊鋼を製造していました。

ぶらりYABE · 2022/01/31
鈴木正雄さん(12班A)が時々口にされる言葉が気になっていました。「子どもの頃、家の近くの用水路にザリガニ釣りに行ったよ」。 今はすべてアスファルトに覆われてしまっていますが、12班の近くに用水路があったのでしょうか。1950(昭和25)年の県営住宅地開発直後に入居したお宅では大雨の度に水路があふれるので、昭和55年頃の改築時には土地をかさ上げしたという話も聞きます。谷矢部東は水と関わりが深かったのかもしれません。 町の奥深くに眠る水脈を調べてみました。